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CMシステム全国家づくりネット インタビュー 一建入魂

CMシステム全国家づくりネット > インタビュー 一建入魂 > 田畑 隆さん

一軒の家が建つまでに一体どれだけの人が関わるのでしょう。住宅会社のスタッフ、設計士、大工など…家には想像出来ないくらいたくさんの人たちの想い、魂が込められています。

シリーズ企画「一建入魂~この人の想いに迫る~」では家づくりに携わる人々の想いに迫ります。

今回は新しく”CMシステム全国家づくりネット南店”を立ち上げられた
田畑 隆さんをご紹介します。

昭和35年に鹿児島県に生まれ、現在1級建築士事務所「株式会社 栞」の代表取締役でCMシステム鹿児島南店(鹿児島市紫原)の家づくりアドバイザーでもある田畑さん。

主婦ライターkaoriがお話を伺いました。

 

田畑さんが歩んできた人生とは、そして仕事にかける想いとは?

田畑 隆さんのプロフィール

  • 一級建築士
  • 古民家鑑定士
  • NPO法人 鹿児島デザイン協会 理事
  • NPO法人 7E・Collaboration 理事
  • 一般社団法人 南九州省エネ推進協会 理事
  • 一般社団法人 南九州マンション管理協会 代表理事
  • セルフエナジーハウス研究会理事

趣味:ドライブ、音楽鑑賞

<田畑さんから一言>

建築の世界に入り込んで、30数年経とうとしています。

さまざまな住宅を設計施工し、御施主様と関わってきた中で、大切なことは、いかに快適であるかどうかということです。

高気密、高断熱はもちろんのこと、家計にもやさしい住宅性能の 研究、設計、勉強に日々取り組んでおります。

安心した家づくりのサポートを、専門的な事を通して、わかりやすくアドバイス致します。

interview & written by kaori

昔から建築をされているんですか?
大学を出てからずっと建築業界にいます。
建築業界に進みたいと思ったきっかけは何だったんですか?
私の父が、土木建築が専門の公務員だったんです。中学生の頃、ある時実家の図面が見つかって、青焼きだったんですけどそれを見て面白そうだなと思って建築を目指そうって決めました。
図面を見た時に、どんなところがおもしろいと思ったんですか?
父はきちんとした性格だったので、すごくきれいに、ある意味アートみたいに感じで書かれていたんですね。それで、面白そうだなって思ったのが一つ。小さな窓の開口部の寸法などもちゃんと出来ていて、その図面から造られた家に実際に住んでいましたので、家ってこんな風に出来るんだって思って。私は住んでいて、部屋の間取りとかいろんなことを考える。いま考えるとこだわってたんだなと思います。だんだん年取って自分が図面を書くようになって、父が書いた図面をまた何年後かに見ると、その時の父の思いが伝わってきたんです。
お父さんの図面が建築を目指したきっかけだったんですね。
そうですね。建築は面白いですよ。無いものを造るわけで、妄想の世界から実物が出来ていくんですから。正解もないし、あるのは自分の思いと考え。お客様に対する気持ち。お客様は家を建ててから35年とかずっとローンを払っていったりしなきゃいけないですので、私たちが関わる瞬間、一つ一つを大事に一生懸命やっていこうと思います。
今、お父さんの図面を見てどんなことを感じますか?
やっぱり家族に対する「愛」だと思いますよ。家を造るっていうのは家族を守ってこれからの人生過ごしていく大変なものですが、家族への思いが込められているんですね。その思いを形にしていくわけですから、住宅っていうのは楽しいですよ。

家にはお客様の一生がかかっていますもんね。
設計プランを考えるときは本当に真剣で。寝ても覚めても、夢の中にも出てくるぐらい、考えに考えて、やっと35年住宅ローンを払って、しかもその家の中で暮らすわけですから、その暮らし方、夫婦の会話だったり、いろんなことを想像しながら考えるんです。そうすると、私もものすごく楽しいんです。自分が考えたものが実際家として出来るわけじゃないですか、私が想像で考えたものとは違うインテリアとかも出てくるんですけど、家って基本性能がないと良くないと思うので、もっと勉強して私の知識が少しでも家に反映できたら幸いです。
これまでに住宅以外も設計をされてきたんですよね。
はい、昔はしていました。商業施設やマンションは住宅とは、全く違う考え方をしなきゃいけないです。収益性のある施設だったらそういう面も含めて考えます。
大学卒業してから今に至るまでどんなことをされていたんですか?
卒業後は、東京の会社で施工の現場監督をしていました。ただやっぱり設計をやりたくて2年ぐらいで辞めました。それから鹿児島に帰ってきて不動産建築を総合的にやっている会社に工務で入ったんですが、いつの間にか営業をやっていまして(笑)営業って自分にとって一番遠い存在だと思っていたんですけど、やらなきゃいけない状態だったので。でも実際やってみるとなかなか面白くて、生きている以上はなんらかのアピールをしていかないといけないという意味で営業の考え方は勉強になりました。
営業の後は何をされていたんですか?
やっぱり設計事務所に行きたくて転職ました。そこでいろんな建物の設計をしました。マンション、商業施設、ガソリンスタンド、車屋など。でもやっぱり住宅が面白いですよね。
ここから住宅を扱う設計事務所へ移っていくんですか?
働いていた設計事務所は、鹿児島と福岡に同じ系列の事務所があって、鹿児島の事務所を閉めるということで、その時残っていた所長と2人で設計事務所を興したんです。これまでは商業施設などを扱っていましたけど、今度は、住宅をメインでやり始めました。それが結構楽しくて、設計事務所ですから給料は安いですし、夜は長しい、大変な思いをしました。そこから住宅をずっとやっていて10年前に株式会社栞を興したわけです。
そこに行き着く前は、どうやったら現場を楽にできるのかなと、実際、経営側になると現場をまとめていくというシステムを作っていかないとこれからの時代うまくいかないと考えたり、同時に、不動産もやっていましたので、不動産のイメージを良くするにはどうしたらいいのかとかいろんなことを考えていました。まず不動産情報をもらってお客様に届けるシステムを作ったり、某有名大学と研究したり、工務店ネットワークを作ったり、とにかくがむしゃらに走り続けていました。当時、多くの人とお付き合いして、いまだにその経験は生きています。

様々な経験を積んで今があるんですね。
お客様がリアルタイムで建築現場を見られるように現場にカメラを設置したり、今のようにいろんなものが発達していない時代でしたので、カメラのメーカーと話してお願いしたり大変でしたけど、情報をオープンにすることでお客様の安心につながるという考えから、いろんなことに挑戦しました。でも、ほんとうに忙しすぎて、体を壊してしまって入院してしまったんです。
体を壊して一度すべてをやめて休まれたんですね。
入院中に、これから何しようと考えて、僕が出来ることは何かって。一番やりたいのは住宅だって改めて思って、一人で8畳一間から再スタートしました。最初に頂いた仕事が知り合いの実家のリフォームでした。ありがたいことに縁があっていろんな人のご紹介で、新築物件を手掛けるようになりました。
独立して、最初に建てた新築物件はどんな物件だったんですか?
ちょっと特殊な物件で、木造の三階建てだったんです。お客様には8畳一間の私の小さな事務所に来ていただいて、変わったものが造りたいということでお話をいただいて。予算が厳しくて、でも要求されるレベルはすごく高くて、でもご夫婦の造りたい気持ちもすごく伝わり、やらせていただきました。その当時にはなかなかなかった、外観はシャープに内部は無垢と塗り壁で、すごくかっこよかったですよ。
どんな思いで設計したんですか?
仕事はそれしかなかったので密度が濃かったですよね。ご夫婦の思い入れもすごく強かったので。シラスを使った塗り壁や無垢で造りました。自然素材の良いところっていうのは、見た目が優しい、機能が良い、湿度の調整とか、臭いを吸収してくれて、すごく空気が気持ちいいんですよね。もともと自然素材を使って家を造りたいというのはあったので、実際、自然素材の家を造って改めて良さも感じました。お客様からの評判も良くて次々に依頼がきました。いろんな素材にこだわって造っています。
素材にデザインにこだわりの住宅なんですね?
実は私、鹿児島デザイン協会の委員で、年一回「デザイン百覧会」っていうデザイナーの集まりの会があるんですけど、そのメンバーなんです。グラフィックから写真家と陶芸家、建築家、いろんなメンバーがいるんですよ。デザインというのを違う視点でみんな見ているので、新しい視点に気づくことが出来て、もちろん私の仕事にも活かされています。家もやっぱり美しくあって欲しいし、気持ちよく暮らして欲しいですよね。

芸術的なセンスも活かされていうんですね。田畑さんが仕事をしているとき心がけていることってありますか?
お客様の気持ちになることですね。設計だからこそいろんなことを考える必要がある。工務もやっていますので、トータルで提案をしていきたいと思います。家って何が一番重要かというと、まずは基本性能をしっかりと、ハードな部分ですよね。断熱性など独自で考えながら、そしてインテリアなどのソフトの部分にももちろんこだわって塗り壁、木を見せた壁など使ったり。そして構造計算(数学的に建物のデータをだし計算して作り上げていく)に基づいて造っているんですけど、その計算に対応できる材料を集めるのも大変なんですけど、以前、ネットワークづくりをしていたときの知り合いの中に、材木を提供してくれる人もいたので。手に入らないような木材も使いながら、スケルトン・インフィル構造で家を造っています。

田畑さんがCMシステムに出会ったのはいつなんですか?
2年ぐらい前ですかね。ネットワークの知り合いにCMシステムについて聞いて、私が造った家をオープンハウスにしたとき、CMシステムの上野さんも来てくださって、その時私も、外張り断熱、気密性、断熱性に優れた理想とする家を造っていたんですが、上野さんもその辺はものすごく詳しい人でしたので、住宅の性能について上野さんの考え方にものすごく共感するものがありまして。方向性が同じだよねってことで知り合いになって。私も前からCMシステムについては知っていたんですが、なかなか成功例を知らなくて、上野さんと親しくさせていただく中で、CMシステムの考え方、方向性を聞いて、もともと請負をやるつもりはなかったんですけど、自分が造りたい家を造るために、請負をすることにしました。
これからはCMシステムを取り入れた家造りをしていくんですね。
独立して10年近くやってきて、公明正大に家づくりをしていきたいと思っていて、変更があっても、お金のやり取りもきちんとしていきたいし、お互いメリットがあるシステムで家づくりをしたいという気持ちでCMシステムを取り入れていこうと思いました。縁があって私に仕事をくださった人たち、お客様に対して全うにやっていきたいと思います。
どんな思いでこれからも設計を続けていきますか?
設計しているとき、最終的には私が粒子になった家の中を巡って立体でイメージしていきます。飲んでも何していても設計を担当している家のことで頭がいっぱいになりますよ。私がいろいろ妄想して考え設計した家を、大工さんや塗装屋さんがやってくれる、いろんな人の手を借りて造ってもらって、それでお客様も喜んでもらえたら幸せだなって思います。住宅に携わって、私が社会に対して出来ることを一生懸命やるだけです。
これから描く未来は?
もっと公明正大な家づくりをしたいということでCMシステムを取り入れていくので、お客様に納得してもらって私たちも良かったねっていう家づくりをして引き渡すことが出来たら幸いです。断熱材、仕上げ剤、ありとあらゆるものに精通してまとめ上げていけたらいいです。

-田畑さんを支える言葉-

「栞」

  • 社名になっている「栞―しおり」は田畑さんが入院中に考えたものだそうです。

本来の意味は山の中で迷子にならないように木の枝を折って目印したものを言い、それが転じて本のしおりに。

田畑さんが社名「栞」に込めた思いとはー

  • 栞ってあったら便利で邪魔にもならず本の中を案内できるもの。
  • 栞のように、邪魔にもならず、住宅と共につながっていきたいという思いが込められています。
  • また、田畑さんは「栞」のシンメトリーでシンプルかつオシャレなフォルムの
    文字そのものも好きなんだそうです。

―インタビューを終えて―

オシャレな雰囲気の人!田畑さんにお会いした瞬間に抱いた私の勝手なイメージですが…一体どんな家を造るのだろうと興味深くお話を伺っていくうちに私のイメージは間違っていなかったと確信しました。田畑さんは、建築家でありアーティスト。家の機能性はもちろん大事にしますが、家のデザイン性にも妥協しない。お客様が考える理想の家を見事に造り上げていくんです。設計がほんとうに好きで仕方ないと話す田畑さんの顔は少年のようでした。父親が残してくれた実家の図面から目指した建築の道。その道を切り開き、自分の生きる道としている田畑さんが造る家はきっと、栞のように、お客様の暮らしを幸せへと導いてくれるでしょう。

マニアックな家を造りたい方、ぜひ田畑さんにご相談を!きっとあなたの思いを叶えてくれるはずです。

ライター:Kaori

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