一軒の家が建つまでに一体どれだけの人が関わるのでしょう。住宅会社のスタッフ、設計士、大工など…家には想像出来ないくらいたくさんの人たちの想い、魂が込められています。
シリーズ企画「一建入魂~この人の想いに迫る~」では家づくりに携わる人々の想いに迫ります。
今回は"CMシステム神奈川"
(関東方面のCMシステムの窓口)
伊藤一成さん の想いに迫ります
昭和35年に神奈川県に生まれ、現在「1級建築士事務所ファインテクト」の主宰で「CMシステム神奈川の家づくりアドバイザー」でもある伊藤さん。
主婦ライターkaoriがお話を伺いました。
伊藤さんが歩んできた人生とは、そして仕事にかける想いとは?
伊藤一成さんのプロフィール
- 一級建築士
- CASSBEE戸建評価員
- 日本エネルギーパス協会会員:エネルギーエージェント
- パシッブハウスジャパン認定:省エネ建築診断士
- 木造枠組・軸組壁工法耐火建築物設計者
- 横浜市省エネ住宅相談員
- 既存住宅現況検査技術者
- 耐震診断・耐震改修技術者
趣味:ゴルフ・ジムトレーニング・スポーツ観戦・音楽鑑賞・ドライブ
interview & written by kaori
- 昔から建築士になりたいと思っていたんですか
- 小学生の頃、当時、日本は高度成長期だったんですけど、新聞に不動産の折り込みチラシがいっぱい入っていたんですね。その中に、間取りが書いてあるものがあってそれをよく見ていました。実際に住んでた家は、六畳二間の平屋で社宅だったんですけど、2階建ての階段のある家に憧れていて、チラシを見ながら「ここが自分の部屋で、ベッドはこの場所に置き、机はここ」とか夢をふくらましていました。今思えば不動産の折り込みチラシが建築に興味を持った原点です。
- いつから具体的に建築業を目指すようになったんですか
- 中学生になっても、住宅の世界に進みたいなという気持ちはありました。中学校の技術家庭科で定規、コンパス、三角定規で作図する授業があったんですが、人一倍綺麗に書けてすごく嬉しかったんですね。なんかいいなって。製図したいなって思って、将来は住宅の設計の仕事に就きたいと思うようになりました。
- ここから設計の道に進むわけですね
- そうですね。工業高校の建築科を出て、町場の設計事務所で3年ぐらい勉強し、この頃2級建築士をとりました。やはり町場の設計事務所なので将来のことも考え、資格もとれたので転職を考えたんです。
- どういったところに転職されたんですか
- ちょうどその頃、電鉄系の不動産会社が新しく立ち上がりまして、設計士を募集していたので応募して就職しました。建売と注文建築を担当して、主に建売でしたけど。不動産の建売の設計、監理と、5年ぐらい勤めていたので現場監理も併せてやっていました。
- 5年勤めて転職を考えたんですか
- 電鉄系の大きな会社だったからこそ、将来、先が見えてしまったなってところがあったんです。
- 将来が見えてしまったといいますと
- いくらがんばってもここから上にいくことは出来ないなって思って。正直、仕事の内容も淡々と業務をこなしてる感じで面白味を感じることができなくなり、他に何かないかなって次を探し始めました。
- 次も設計に関わる仕事だったんですか
- そうですね。次に巡り合ったのは輸入住宅のハウスメーカーです。今は無くなってしまった会社なんですけど、当時は輸入住宅のハウスメーカーとしては大きい会社でした。その頃、日本ではそんなに広まっていない2×4工法(厚さ2インチ×幅4インチの角材で構成された枠組に構造用の合板を打ち付けたパネルによって、壁や床を構成する工法)で設計を行っていて今は当たり前のようにありますけど。輸入住宅の建物自体が非常に性能が良い建物なんですね。アメリカから材料を仕入れて木製のペアガラスのサッシを当たり前のように使っていて、外壁も断熱性にこだわった建物だったんです。
- 伊藤さんが見てきた輸入住宅は高性能の家だったんですね
- 私が勤めたハウスメーカーの輸入住宅は、その当時から高気密、高断熱という高性能の建物を当たり前のように作っていて、実際に客様もみなさん満足して、冬寒い中でも快適だしって喜んでいただいていましたので、こういった高性能の建物を広めていきたいなと思いました。
- 輸入住宅との出会いが伊藤さんの人生のターニングポイントになったわけですね
- そうですね。お客様と話をしながら、いろいろ刺激も受けましたしおもしろかったです。当時バブル後期だったんですが坪単価90万~100万円超えの物件ばかりで、毎日作図や作業に追われて就業時間は深夜や徹夜になる事もざらでした。ほんとうにハードワークでしたね。そのうちバブルもはじけてしまって、残念なことに会社も潰れてしまいました。
- その後はどうされたんですか
- 潰れたあとも輸入住宅ブームは続いたので、そこで働いていた設計士を集めた会社がいくつか出来上がったんですね。そこの一つに勤めたんですけど、ブームもいつまでも続かずその会社も立ち行かなくなってしまいました。そこで独立するしかないと。独立せざるを得なかったんです。
- 独立することに不安はありませんでしたか
- もちろん不安はありました。やはり独立するのに1級建築士の資格がないとダメだと思い、一念発起して、働きながら毎日寝る時間を惜しんで勉強を続けました。正直つらかったですが無事1級建築士に合格し、独立したんですけど、幸いにもハウスメーカー時代にお付き合いさせていただいていた工務店さんからお客様を紹介していただいたりしてなんとかやってきました。
- 独立する時に大切にしたことは何ですか
- ハウスメーカーの設計担当をしていた時は、自分の思う設計が現場に反映されないという悔しい思いをしたこともありましたので、この経験を生かし、自分の事務所では、建築の素人であるお客様の立場になり設計・監理を行い、高性能で喜んでいただける家を提供することを心がけています。
- 独立してから、高性能の家へのお客様の理解を深めるために努力していることはありますか
- ハウスメーカー時代は、モデルハウスがあったので実際に建物の中にはいってその空気感、性能などを実感できる場所があったんですけど、今は、できないので性能を数値化してお客様に分かりやすく伝えたいと思っています。
- 一級建築士以外にもたくさんの資格をもってらっしゃるのはお客様のためですか
- もちろんです。ほとんどがエネルギー関係の資格ですね。家の性能を数値化し、お客様にも理解していただくためには、まず自分が学び、理解を深めておかないといけないですし、お客様からの信用にもつながるようにと取りました。
- 性能を数値化して示すっていうのはなかなか大変なんじゃないですか
- そうですね。中途半端な示し方では、逆にお客様を混乱させてしまいますし、悩みました。そんな時、輸入住宅の輸入建材を扱っていた人の知り合いから鹿児島にCMシステムで頑張っている人がいると、上野さんを紹介してもらって東京で会ったんです。
- CMシステムの上野さんの話を聞かれていかがでしたか
- 最初は、正直こんな話うまくいくのかなって、しかも少人数でやられてるって聞いて半信半疑どころではなく8割ぐらい嘘じゃないのかなって思いました。原価公開システムをとりいれ建設コストを抑えながら、高性能のゼロエネルギー住宅を当たり前のように造ってらっしゃるって。でも実際何回かお会いさせてもらい、いろんな人の話も聞いてみると、ぜひ自分も勉強させてもらいたいと思いました。横浜でCMシステムの営業スタイルをとっている会社がまずない。建物の性能をお客様に分かりやすく数値で表している会社もないっていうことを考えればイケるのではないかっていう自信が徐々に芽生えてきました。
- CMシステムでやっていこうと決めたんですね
- 設計事務所をやっていて辛いことは、設計はやったんだけど、実際工務店さんで見積もりを出してもらうと金額が合わないこととかが結構あるんです。しかし、CMシステムのやり方であれば原価公開なので、お客様の理解度も高いですし、設計事務所をしながら、CMシステムを取り入れて家を造っていくっていうのはお客様にとってももちろん、私たちにとってもメリットがあると考えています。設計士の強みである家のデザインとCMシステムで造る高性能の家をアピールしていきたいと思っています。
- 初めは半信半疑だったとおっしゃっていましたが、今は全くなくなりましたか
- 今は、CMシステムは本当にいいな!と思っているので広げて行きたいです。きっとお客様も最初は半信半疑でいらっしゃると思うので、私が今まで経験したことを話して今どういった建物が本当に必要なのかってことをお客様にも勉強してもらおうと思っています。もちろん無料です。原価を公開し原材料にどれだけかかり、私たちはこれだけ経費をいただきますってすべてお話します。
- 無料勉強会や性能を可視化することでお客様との信頼関係も生まれますよね
- お客様には無料勉強会で建築業界のタブーとされている部分や家造りでは何が重要かを知ってもらうことで失敗しない家造りをしてもらいたいです。どうしても、お金や家のデザインだけに目がいきがちですが、家の性能にも目を向けてほしいと思っています。見えない性能を理解してもらえるように、家計にも影響する家の消費エネルギーを年間の電気代などに換算したりしながら家の性能についても出来るだけ分かりやすく説明するようにして、「家の性能の可視化」にも積極的に取り組んでいます。
- もっと家の性能にも目を向けて欲しいですね
- 家の性能が良くなることで、体への負担、健康にも関係してくることもありますのでしっかり考えていただきたいと思います。
- 転職しながらも、夢にみていた設計の仕事をずっと続けてらっしゃいますが、がんばれる源ってなんですか
- よく子供の頃からの夢を叶えた仕事が出来て幸せだねって言われるんですけど、実際、こんなに割の合わない仕事はないなっていうぐらい大変な仕事です。時には、徹夜続きもありますし、肉体労働だと思います。でも、やはり一番は好きなんですね。実際にお客様に喜んでもらっているのを直接感じることが出来るので、やりがいを感じるし、何より嬉しいんです。そして、自分の今思う「理想の家」を世に残したいなって思う気持ちもあります。
- 理想の家とはズバリどんな家ですか
- 快適であり、健康的な家。そのためには建物の性能を良くしてあげること住宅設備や建築資材も新しく良いものが出て住宅も進化していきますから常にアンテナをはって情報を仕入れて勉強し続けないといけません。高性能な理想の家をコストを考えながら建てていけたらと思っています。
- これからはCMシステムで更なる夢「理想の家」を実現していくんですね
- 温熱環境を重要視したゼロエネルギー住宅を当たり前のように提案し、原価公開システムで建設コストを抑えるという、まさに私がやりたい家造りです。お客様にとっても私にとっても幸せな家づくりがCMシステムでの家造りにはあると信じています。
-伊藤さんを支える言葉-
「真剣・正直」
- 何事にも真面目に取り組んでいかないといけない
- 自分の気持ちに正直に生きたい
―インタビューを終えて―
取材を始めるとすぐに「私口下手なんでなかなかうまく話せないと思いますがよろしくお願いします」とおっしゃった伊藤さん。初めての取材で少し緊張している様子でしたが、言葉を選びながら、一つ一つ自分の想いを丁寧にそして一生懸命話してくださいました。
何度転職しても、子供の頃からの夢であった設計の仕事を続けている理由を聞くと、最初は「他に何も出来ないから」と謙遜されていましたが、話を聞くうちに「やっぱり設計が好き。お客様の喜んでくれるのが何よりうれしい」と。その時見せた伊藤さんの笑顔が忘れられません。この笑顔の中に、伊藤さんのすべてが詰まっていると思います。苦労し悩みながらも、設計の道で生き続けている伊藤さんの仕事への想い、静かな情熱を感じました。伊藤さんの考える「理想の家」が神奈川で広がっていく日もそう遠くはないかもしれません。
ライター:Kaori